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みんなネガネをかけている

臨床心理士と小さな塾の先生をやっているOQCの雑記帳。twitterでの発言や考えたことなどをまとめています。

文章を学ぶ前に~会話と文章~

文章構成

お話はとても流暢なのだけれど、作文になると固まってしまう。自分が最も伝えたいと思ったことがうまく書けない。テーマ作文で、テーマを取り違えてしまう。

こういったことで困っている子どもたちは意外とたくさんいます。

この記事では、なぜ作文は難しいのかということについて書こうと思います。

 

■ 話せるけど書けない?

  あなたの友人に、長く英語圏に住んでいる友人がいるとします。

その人が、ある日こんなことを言いました。

その友人には書字の困難はないものと仮定してください。

 

「私、英語は話せるんだけど書けないんだよね」

 

さて、この一文を読んで、みなさんはどのように考えるでしょうか。

おそらく、そこまで不自然に思う方はいないのではないかと予想されます。

文法に則って書く文章と、話すときに使う言葉に違いがあることを経験の中でわかっています。

英語の習得を目的とせずに海外に行った人の場合、日常的な会話のなかで英語を学習する機会が多いだろう。そのため、書くことよりも会話の習得が促進されるのはそれほど不自然なことではない、と考えるわけです。

 

■ ちょっと見方を変えてみて

 これは、はたして外国語に対してだけ言えることでしょうか。

個人差はあるかもしれませんが、私達が本格的に文章というものに触れ、それを自分で読み書きするのは小学校に入学してから。しかも、一人で文章だけの本を読めるようになるのはおおむね10歳くらい。絵本と児童文学の中間くらいだろう「かいけつゾロリ」でも対象となるのは中学年の児童からだそうです。

つまり、子どもたちにとって、もっとも身近な「言葉」というのは「読み書きする言葉」ではなく「話す言葉」だといえると考えられます。

 

■ わたあめとブロック

では、読み書きする言葉と話す言葉はなにが違うのでしょうか。

私は、話し言葉は「わたあめ」書き言葉は「ブロック」

そんな風に考えています。

 

・ わたあめ

まずは、話し言葉。どこが「わたあめ」なのでしょうか。

ちょっと例を書いてみます。

 

「私ってさあ、猫アレルギーなの知ってるよね。昨日、学校帰りに猫見たんだ。白いの。ふわふわ。すごいかわいくてさ、連れて帰りたかったんだけど、無理じゃん?」

 

特に読解に苦労することはないかと思います

「帰り道で猫を見つけたのだが、猫アレルギーなので飼うことができない」という内容です。

この人は、猫がいかに可愛かったかを説明しています。

「昨日、学校帰りに見たんだ。白いの。ふわふわ。すごいかわいくてさ」

「白い」、「ふわふわ」、「すごいかわいい」、いずれも猫を説明しています。

猫という単語を後ろから補足して説明しているんですね。

「連れて帰りたかったんだけど、(私ってさあ、猫アレルギーなのは知ってるよね)無理じゃん?」

そして「無理じゃん?」の理由は、冒頭の「私ってさあ、猫アレルギー……」と関連しています。つまり、前で言った部分を関連させて理由を説明している。

 

会話では、物事の理由や補足の順番に規則性がほとんどないのです。

この場合なら、「猫を見た」という中核の話題に、前から後ろから、自由に情報を付け足しています。そして、情報ははどんどん大きくなっていく。ここが「わたあめ」に似ています。

わたあめは、溶かした砂糖を細い糸状にして割り箸にまきつけて作ります。

この割り箸が話題・会話のテーマだと考えてください。ここでいえば、「猫について」ですね。それに、くるくると細い糸状の情報が巻き付いていくイメージ。細い糸ですから。後ろのものが前のものにくっつくこともありますし、よじれて前後の区別なく、くっついていくこともあります。そうしてふわふわ、ふわふわと膨らんでいく。

とはいえ、あまりに巨大なわたあめになると、情報の修飾の関係がわからなくなってしまうこともあります。どうにも容量を得ない、ややこしい話をする人のわたあめはとてつもなく巨大。話は長いけれど、飽きない話ができる人は、一定の大きさになると新しい割り箸(話題)を用意して、いくつものわたあめを作れるようなイメージを私は持っています。

 

・ ブロック

 一方、書き言葉は「ブロック」だと言えるかもしれません。

「私ってさあ、猫アレルギーなの知ってるよね。昨日、学校帰りに猫見たんだ。白いの。ふわふわ。すごいかわいくてさ、連れて帰りたかったんだけど、無理じゃん?」

これを、特に言葉の順序を変化させずに書き言葉に直してみます。

「私が猫アレルギーなのは知っているかと思います。昨日、学校帰りに猫を見ました。白いです。ふわふわです。とてもかわいくて、連れて帰りたかったけれど、無理でした」

うーん。なんだか不自然。ちょっとぎこちなさをかんじませんか?

「あっ、こういう作文見たことある」という方もいるかもしれません。

また、「小さい頃こういう文章を書いたなあ」と思い出した方もいるかもしれません。

では、これはどうでしょうか。語順を入れ替え、ちょっと主語を補足してみます。クラス全体に向けて発表する作文という体裁で書いています。

「クラスのみんなは、私が猫アレルギーなのは知っているかと思います。昨日、私は学校の帰りに猫を見ました。猫は白く、ふわふわしていました。とてもかわいくて、連れて帰りたかったけれど、猫アレルギーがあるので無理でした」

いかがでしょうか。ずいぶん変わり、理解しやすい印象になったと思います。

やったことは修飾の順番を守ったことと、主語の補足だけです。

文章では、基本的に「白い→猫」「ふわふわの→猫」という修飾の順番に決まりがあります。(「」内の話し言葉などを除く)

そして、主語と述語は対応しなければなりません。

ここが、レゴブロックのようなものと似ています。ブロックの凸と凹が噛みあうものしか積むことはできないのです。わたあめよりもかっちりとしたものが出来上がります。

 前回の記事に書いた「伝えるための文章」という点においても、ここは重要です。

 

■ ブロックの遊び方を知らない子がお城を作れるのか問題

 今までレゴで遊んだことのないお子さんに、いきなりレゴを1000ピース渡して、「シンデレラ城作って」と言ったらシンデレラ城は完成するでしょうか。

ものすごいイメージ力と直感をもった子であればできるかもしれませんが、殆どの子が無理だと思われます。

しかし、レゴの原理(凸と凹をくっつける)とお城の作り方の紙があれば、いつかは完成します。

文章もこれと同じで、構造を知り、設計図を見ることができればもっと楽に作れるようになると思います。

 ところが、「本をたくさん読めば文章が書けるようになる」「テレビやネット、漫画などの受動的なメディアを制限すれば文章が書けるようになる」「作文テンプレートは子どもの自由な発想を奪う」というような意見がよく見られます。

個人的な意見としては、そこじゃないんだけどなあ、という感じです。

まずは、文章の基本構造を子どもたちが知り、話し言葉とモードを切り替えられるようになることが最初じゃないかと思います。そして、それが自分の書きたいことを書けるモチベーションに繋がってくれるといいなと思います。

この基本が身につくと、読書からの文法や語彙の吸収率にも変化が出てくると思います。

くだけた文体で書かれている小説も、ライトノベルも、学術書も書いてある文章の構造の基本は変わりません。ただ、魅力的になるような小技やエッセンスが散りばめられていることにも気がつけるかと思います。